2007.11.20

★『蜘蛛女のキス』を振り返る。やっと落ち着く。ふぅ。

見てからもう10日経っているのだけど、やっと自分の中で今回見た「蜘蛛女のキス」がどういう作品だったのか落ち着いた感じがする・・・。

それだけ自分の中でやっぱり伝説だったんだなあと思う。

そしてものすごいびっくりな事は、こんな見る側も相当消耗する作品でパンフ写真まで別人写りで気迫の刑務所長だった藤本隆宏さんが、梅田千秋楽の翌日から再び東京にて、蜘蛛女と同じ劇場で「ハウトゥー・サクシード」の再演に出ている事ですよ・・・。
ものすごいタフな人だ・・・いくら再演とは言え。そして彼の役はバドじゃなかった??今回のバージョンは見てないんだけど、バドってあの変な人だよね??

蜘蛛女から一転して衣装も曲もポップなコメディ世界に突入している藤本さん。
多分何も知らない人が見たら同じ人だと気づかないと思う・・・。

そしてどうでもいい事だが、蜘蛛女だった人(←朝海ひかるさん)はヅカ版ハウ・トゥー(真矢みきさんと純名りさちゃんの主演)に出ており、新人公演では刑務所長と同じバド役をやっていたのであった。
そしてこの時のコムちゃんを見て、オギーは「コムちゃんて蜘蛛っぽい」と思ったとか何かのインタビューで言ってた気が。

このように一見なんの関係もない所で実際別に関係ないんだけど何となく蜘蛛の糸はあちこちにはりめぐらされているのであった(笑)。

懐かしくなって当時のハウトゥーパンフを見てみたが、コムちゃん若っ可愛いっ。


しかし、今回の蜘蛛女のキスは、すごい正直な事言うと、もしハロルド版だったらやっぱり物足りなくなっちゃった所もあると思う。オギー版だったからこのキャストだったことがすごく生きた。というかオギーはこのキャストだからこの演出なんだと思うけど。

ハロルド版はやっぱりブロードウェイやウエストエンドでどっかーんと打ち上げる花火であって、大スターチタ・リヴェラだからこそ成立する話で。これが日本でそのまま出来たのは、麻実れいという唯一無二の人がたまたまこの時代にオーロラをやれる状況で居てくれたからで。
27歳と37歳を考えれば今回の方がずっと自然なんだけど、やっぱり市村さんの濃ゆいお芝居と宮川さんの若さ故の頑なさと暴走感の対比は鮮やかで。

ハロルド・プリンス版をもう1回再演します!と言われたら、やっぱり設定年齢を変えてでも正親さんと宮川さんで見たいし、麻実さんに匹敵する死のオーラを持つ女優さんなんて思いつかない。


だから、今回、全く別の物語として、全く別の役割をになって登場した朝海ひかるさんのオーロラ=蜘蛛女と、石井さんのモリーナと、浦井さんのヴァレンティンは、そうなってくれてよかった。と思った。
もちろん最初は戸惑ったけど。終わってみたらこれだからよかった。

色々と消化しきれていない事もたくさんあるから、また今回のバージョンの再演があるといいなと思う。
今度はもっと最初から構えて(笑)、オギー世界を堪能したい。

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2007.11.16

★ハロルド版『蜘蛛女のキス』が伝説な方に(笑)。

明日から始まる「蜘蛛女のキス」大阪公演。

えーと私のような「うろ覚えなんだけどとにかくハロルド・プリンス版が伝説になってる!!」方で、これから観劇される方に一方的なアドバイスを(笑)。

★「蜘蛛女のキス」という同じ題名が付いているし、同じ曲が歌われていますが、全く別の作品です。
それを忘れてはいけません。

じゃないと「・・・こんなに地味だったかな?」とか「ヴァレンティンがこんなに計算高い男に!!」とか、「ラストシーンがハロルド版と比べるとぐわーっと盛り上がってくれないよう」などと様々な事に次々ひっかかると思います・・・。
でも今回はそういう派手にばーんと打ち上げる部分はないのよう。


★荻田浩一氏をご存じの方は、これはオギーの作品なんだ!!という事を強く意識してご覧になる事をおすすめします。

ぼーっとしていると色々見逃しまくります。私がそうでした・・・(泣)。
目には入っていたけど意識してなかった場面がたくさん。
そもそも目にも入っていなかった場面もたくさん。


今回は、チタ・リヴェラのような、麻実れいのような、圧倒的な存在感ですべてを覆いつくす闇のような人はいないけど、荻田版ならではの繊細で静かな心理戦が楽しめます。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆

うーん今回のヴァレンティンがすごく気になるので、ある意味オギー版をハロルド版キャストで見るとどうなるのか見てみたいとか思う。
ま、オギーは今回の3人だからこの演出、があるだろうから、そのままハロルド版キャストがこういうキャラクター設定になったりしないだろうけど。

例えば宮川さんがオギー版を演じたら、ヴァレンティンがどういうキャラクターになるのか見てみたい。
逆に、浦井さんがハロルド版を演じたら、どう変化するのかも見てみたい。

しかし石井さんのモリーナがアリなのであれば宮川さんのモリーナも無いとは言い切れないのだろうか・・・。うーん・・・。

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2007.11.15

★『蜘蛛女のキス』を振り返る。題名に偽りアリ(笑)の意味。

連日蜘蛛女中ですみません・・・。所詮はオギー信者な己。

何か何もかもに深読みを始めた結果、見てた時は「何??『蜘蛛女のキス』なのにキスしないのはスミレコードですか???」とか思ってたけど、それにも意味を求めたくなってくるのであった。

劇中実際にキスするのはモリーナと蜘蛛女ではなくモリーナとヴァレンティンだけであるという事は意味があるのでしょうか。
↑ハロルド版は「映画でだけ」の時に幕落ちる直前ではない時点でキスしてたような気がするんだけどどうだっけ?
うーんでも蜘蛛女は「エリザベート」のトートみたく「死の象徴なので彼がキスした瞬間に死が訪れる」訳ではないからここに拘る必要はないのか?

今回あまりにもヴァレンティンが分からなかったから、ここで彼がモリーナとキスする心情がいまいち分からないんだけど、それはとりあえず置いておいて、場面としてはこの瞬間にモリーナの運命が決した。という意味があるのかなあと思って。

オギー版は、ハロルド版のような、圧倒的な存在感で舞台全体の空気を動かす死の象徴としての蜘蛛女とは異なっていて、一人一人にふっと憑依してすっと出て行く、みたいな、誰かが死を思ったり死に近づいたり、何らかの強い感情を持った時にすっと具現化するようなイメージだった。←書いていて思ったけど、この印象は今年の宝塚雪組版水トートに近いのかも。水さんのトートは実体がない存在に見えたんだけど、コムちゃんの蜘蛛女もそんな感じがする。

だから、死のキスを与えるのは蜘蛛女本人(という言い方も変だけど)じゃなくても良くて、ヴァレンティンだったのかな~と。←これは場面の意味であってヴァレンティンの意志はまた別の話。


ちなみに超うろ覚えハロルド版のこの場面の印象は、ヴァレンティンからモリーナに向けての挨拶と励まし。
うろ覚えハロルド版のヴァレンティンはもっとずーっと単純な人で、だからモリーナを利用する事に対して躊躇しないというか、それに対する後ろめたさがあまり無かった気がする。彼にとってはモリーナはある意味恩人というか借りがある人で、でも出所するなら協力してくれ~と思い、それは何の矛盾も無く同居している感じ。「オマエは前を向いて堂々と生きていけ!&今までありがとう!&あとは任せたよろしく!」といった雰囲気だった気がするのだが。
しかし改めて10年前を思い起こすと、この時ヴァレンティンやった宮川浩さんはものすごいがんばってたんだな~と思う。麻実れいと市村正親に挟まれて霞まなかったのは偉い。

モリーナに対してどちらのヴァレンティンがより残酷なんだろうと思うと複雑だけど。


しかしどうでもいいけど、今回のヴァレンティンの対モリーナ戦略を見つつ、「こいつ、モテなさそう」とかつい思ったのだが(笑)、それは意図した演出なのかなあ。
宝塚歌劇団の演出家であるオギーだし、ヴァレンティンは一応?王子様役者浦井さんだし、何かもっとモリーナがうっかり本気でおとされそうな方向へ持っていけそうなのにあの場面ただひたすらヴァレンティンが怖いし。

ヴァレンティンはマルタマルタ言ってる割に、何か誰か(恋愛に限らず家族や友達も含めて)を愛した事も愛された事もなさそうに見える人で、愛される事も愛する事も知っているモリーナとの対比が印象に残っているんだけど。
ヴァレンティンは自分が他人から大切にされた時に最初に見せる反応が「動揺」で(「偶然同房の見ず知らずの人が看病してくれた」とか「自分のために死んでも口を割らない」とか)、それが哀しい。

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★『蜘蛛女のキス』を振り返る。オギーの毒と罠。

今回の荻田浩一版『蜘蛛女のキス』を見終わって数日経って、オギーインタビューとかも読んで、ちょっと落ち着いて振り返ると・・・やっぱりオギーは無駄に観客の深読みを誘いまくる(笑)演出家だ。とあらためて思う。

前回書いたように、私はハロルド版が伝説となって、派手で激しいミュージカルを見にいくつもりで行っちゃったから非常に戸惑ったのだけど、改めて見たものを振り返ってみると、全編オギーらしい伏線とか謎かけとかが張り巡らされている。

今回のキャスティングはどの位意図されたものか分からないけど、何かすごくヴァレンティンもモリーナも「演じている」印象があった。
役者が役を演じているという意味ではなくて、モリーナはヴァレンティンに対して、ヴァレンティンはモリーナに対して。

それは役者陣に対する私の予断も大きいと思うのだけど。
石井さんのモリーナは、最後の姿が本来だ。という印象が残っている。強くなったのではなくて。元々彼が持っているものが最後に素直に出てきた。
でもそれは私が石井一孝さんに持っている印象も多分影響している。

浦井さんのヴァレンティンがインテリに見えるとか感情と行動が一致してないと思ったのは、何て言うか意識がある時の彼は常に自分が相手にどう映っているのかを意識して、どう見せようか考えて行動しているように見えたから。
これもまた、結構単純に「ご飯にがっつくヴァレンティン」とかの行動が浦井健治さんイメージに無くて何か違和感があったとかの影響があるだろうし。

ミュージカルファンで、この二人を全く見た事が無くて何の事前情報も無い、という方はなかなかいないと思う。特別興味は無くても1回や2回は生で見てる可能性が高いだろうし、見た事無くても雑誌で見た事あるとか今までどんな役やってるかとか、何らかの情報には触れていると思われる。
だからオギーのこのキャストの使い方は観客の予断込みなのかな~とか深読みしてみたり。

ミュージカルに興味はないけどコムちゃんファン、とかの方で、今回まっさらな状態でこのモリーナとヴァレンティンを見た場合、彼らはどう映るんだろう。
普通に「モリーナの人って南米っぽい顔で濃いけど女らしいわ!」とか←見た目の濃さに拘る自分(笑)。「ヴァレンティンは粗野で強そうだけど脆そうな人だ」とか、普通に思うのであろうか。気になる。


うーん。刑務所で他に誰も居なくて二人っきりでずーっと否応なく向き合わされている状態のはずなんだけど、その割りにお互いに一線は越えていないというか、本当の所は見せてない?みたいな印象がちょっとある。

時間の流れで言えば、子どもみたいに境界線引いて「来るな~っ」とか言ってた1幕最初から、オーロラの映画の話をリクエストしてたり生い立ち語ってみたりする2幕に向かってもちろん二人の距離は縮まってお互い心を開いて行ってるんだろうけど。でもそれはお互いの存在に慣れたという事もあるだろうし。

何て言うかお互いに見せたい自分を見せている感じ。←いい所を見せたい!ではなくて。「自分はこういう人間だ」と思ってもらいたいように振舞う。それはマイナスの方向にも。

でもごくたまにふと本来の自分がすっと顔を出していると感じる時があって、だから今彼らが本当は何を考えているのか分かりづらい。

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うーん。「見せたい自分を見せてる」のではなくて、「誰かの視点から見た誰か」という視点の移動があるのかもしれないとも思う。

今回のオギー版は、現実と妄想と回想シーンがお互いに侵食していくような曖昧さがあって、一体どこまでが現実でどこまでが願望なのか分からなくなってくる不確かな世界。

だから、自分が今見ているものは、「モリーナとヴァレンティンが置かれている現実」を客観的に見ている状態なのか、「モリーナに見えている世界」をモリーナの目を通して観客に示されている状態なのか、「ヴァレンティンの願望」なのか、どれでもないのか、見ていて結構混乱する。

映画を暗示しているのであろう音は何を意味しているのでしょう。

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2007.11.13

★『蜘蛛女のキス』を見る。見る前の過ごし方。

★作品を見る前に、どの位の事前情報を持つかはとても重要だと思う。

今回はあえてオギーや役者陣のインタビュー記事やご覧になった方の感想をシャットアウトして見にいったのだけど、その結果ちょっと心構えに失敗。

自分の中でハロルド版の印象が強すぎて、派手で押し出しが強い、激しいミュージカルをイメージして行ってしまった。

しかし今回は現実と夢が交錯しつつ静かに行われる心理戦。
ハロルド版がジェットコースターだとしたらオギー版は巨大迷路。
ジェットコースターのつもりで見にいったため、オギー版に戸惑ってしまい、「地味・・・」とか「ヴァレンティンが分からないーっ」とか、すごく混乱したんだと思う。

実はオギーらしい伏線と罠が全編に張り巡らされているようなのだが、全然分からなかったし(泣)。

やっぱりもう一度見たかったという思いと、この物語を体験するのは消耗度が激しいので二度も見られないという思いと複雑。

ただやっぱり、オギーの意図したところを見せるには劇場大きいと思う。
最後列で見たから、どうしてもはったりの効くハロルド版が好きな気持ちが出てきちゃうのもしれない・・・。

もうちょっと素直に見たかったな~。オギー版のよさをもっと素直に楽しみたかった~(泣)

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★『蜘蛛女のキス』を見る。ヴァレンティンが分からない。その2.

★モリーナが出所することが分かった時。
チャンスが来た!と思ったんだろうか。彼にしてはあからさまに、かなりしつこく「伝言してくれ~」を言い募る。

モリーナが彼をどういう目で見ているのかももちろん分かっている。
このままではモリーナが絶対に伝言してくれなさそうな事も分かっている。
そして歌う歌詞は「一緒に寝るそれだけで~」。
さらにすごく唐突に作為的にモリーナにベタベタし始めるように見える。
モリーナには笑顔だが、抱きしめて顔が見えない位置まで来るとやたら悪い顔をする浦井さん。
モリーナはうっかり受け入れるんじゃありません(怒)!

おかしい。この場面ハロルド版では全く同じ台詞を言ってるのに「ただ今二人の魂触れ合い中」に見えたのに。

で、今回この場面終わっちゃうし。
「すべては伝言のため」以外の要素が無いように見えるのが虚しい。
モリーナが浮かばれなさ過ぎてどうしたらいいか分からない。
そのためにそこまでやるんだヴァレンティン、というのも哀しい。

★別れ。
やっぱりしつこく伝言してくれ攻撃中のヴァレンティン。拒否するモリーナ。
そしてモリーナに言う。「二度と、自分を辱めるような事をするな。人にもさせるな」。これは本当に思っている事だと思う。
そしてモリーナとキスする事も。
色々計算して利用しようと思っている事も本当だろうけど、でも自分でも気づいていない所でどの位この人に自分の気持ちを預けていたか、救われていたか。素直にその部分がすっと出てきていて、だからモリーナもこの言葉に、この行動に背中を押されて、覚悟を決めるんだと思う。

が、この直後「伝言を教えて」と言うモリーナが去った後すごく複雑に喜んでるし、「男を見せろよ!!オマエは本当は男なんだからな!!」とか言ってるし、彼を騙したことへの自責の念とか自分が嫌になっている事とかで(多分)何か色々複雑に笑ってるし・・・やっぱり最後まで混乱。


★今回のヴァレンティンは、すごく疑い深く繊細で本当はインテリに見えるため、言っていることと実際の感情が一致していないように見えることがたくさんあって、それで必要以上に大混乱したんだと思う。
浦井さん、「ジミーを睨み付けつつ同時に猫なで声でアートに接するギル」(←スタジオライフ月の子笠原氏)とか「誰も見てない所で企んだ顔しまくるやり過ぎ雪穂」(←同じくスタジオライフ白夜行の及川アニキ)みたいな妙に悪い顔を何度もしてるし。

彼が実際のところ何をどう感じていたのか。何をどこまで気づいていたのか。モリーナの事をどう思っているのか。
なんとも言えなくて落ち着かない・・・。

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そんな大混乱中の観客をあざ笑うかのように(笑)、カーテンコールではあっという間に素に戻っているもうヴァレンティンではない浦井健治氏。
3時間モリーナに対して上から目線だったのに、一瞬にして「石井先輩大尊敬してます~」的な下から目線の超笑顔を石井さんに向けていた。その豹変っぷりが面白かった(笑)。

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★『蜘蛛女のキス』を見る。ヴァレンティンが分からない。その1.

何かもういいよ。と思われていると思うがもう少し続く。ごめんなさい。

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★ヴァレンティンがとにかく今回わかりません(泣)。
本当に5列目位で見たかった・・・。
ヴァレンティンが何を考えているのかすごく知りたい。

今回はオギー演出である事と、ヴァレンティン役浦井健治さんの持ち味の二つの要素によって、ヴァレンティンがものすごく計算高い男に見える。

うろ覚えハロルド版のヴァレンティンはもっと単純というかある意味体育会系の分かりやすい直情的な性格の人に見えていた。だから、モリーナに対しての感情は割とすっきり動いて行く印象があった。

男らしい男である彼にとって対極にいる女々しいモリーナに許せない位嫌悪感を持つ→彼の看病で生き長らえた自分。恩を感じている→お互いに歩み寄る気持ちが芽生える→出所する事が分かる。最後の夜。モリーナが自分の事を愛している事にはもちろん気づいている。二度と会わないであろう彼に対して、受けた恩を返したい気持ちと、彼が出所できるなら仲間に伝言を伝えてもらいたいという気持ちが矛盾なく同居して、モリーナが望んでいるであろう行動に出る。あとやっぱり「寂しい」と彼の魂が言ったんだと思う。明日からの、鬱陶しいけど確実に自分の中の救いになっていたモリーナの存在が無になった時に直面しなくてはならない、圧倒的な孤独。

これはハロルド版である事と宮川浩さんの持ち味との二つの要素があると思うけど。
宮川さんのヴァレンティンは自分が思った事を割とまっすぐ信じていける人で、だから繊細さには欠けるけどあまり計算して誰かを陥れようとかしてないように見えてた。


★今回のヴァレンティンはとにかく複雑。とても繊細。
浦井さんはすごくがんばっていて、いつになく低い声と粗野な振る舞い、荒々しさでモリーナの前に登場する。
あともしかして敢えて太った??一回り大きくなっている気がしたのだが。全体に。

でもふとした言葉や静かに語る口調はかなりインテリっぽい。
同じ政治犯でも、宮川ヴァレンティンは組織の行動担当に見えるんだけど、浦井ヴァレンティンは理論担当に見える。
正直彼がストレートチルドレンであったという設定は「本当に?」と思ってしまう。

★毒入り缶詰を渡された時。この繊細で猜疑心の強いヴァレンティンなら、モリーナの惨状を見て「もしかしてこのご飯に何か問題が?」とか疑いそうに見えるんだけど。すぐ食べる事に違和感。
たとえ3日食べてなくて死にそうだったとしても疑いは忘れないみたいな人に見えるのだが今回。

この毒入りご飯で死にそうになって介抱してもらう所から1幕ラストの極楽鳥まで、完全にモリーナにされるがままなのも気になる。あまりにも苦しいと相手が誰だろうが気にならなくなってどうにでもしてください助けて助けて。みたいになるから、そういう状態だと思えばいいのか、でも今までもさんざん拷問されてその直後にモリーナに会っても結構拒否モードだったから、あまりにも最低の状況を救ってくれた事に対してモリーナに信頼感が芽生えていると素直に思えばいいのか。
この時に「優しいんだな」みたいな事を確か言ってたと思うんだけど、「他人に親切にされる事にすごく驚いている」感じがして、それで余計に「他人を信じない。信じられるのは自分だけ」という印象が強まっているのかもしれない。

★ヴァレンティンは、「モリーナのお母さんの差入れ」についてどう思っていたのだろう。本当に信じていたのか。
彼が何を信じて何に気づいていたのか、何を意図して動いていたのかが分からなくてとても気になる。

★彼が意識が混濁しつつも繰り返し呼び、常に心の中で思い続けるマルタ。

現実のマルタは最後の最後にほんの一瞬登場するだけで、舞台上現れるのは常にヴァレンティンビジョンの存在。
演じているのがかよちゃんと言う事も多分あるけど、あまりにも真っ白であまりにも透明で精霊のように見えてしまい、現実感に欠ける。一体どんな人なのか日常が全く想像できないから、二人が一緒にいる姿も想像できない。

浦井ヴァレンティンの他人との関わり方が「人から愛された記憶」があまり無さそうに見えるから、現実の中で彼はマルタと一体どういう風にかかわってきたのか、「上流階級の娘だけど愛してしまった」情熱は一体どこにあるのか、すごく気になる。

あと、マルタは組織とどう関わりがあるのか、ないのか。
彼が絶対に口を割らないのは、仲間を守っているのか、マルタを守っているのか、それとも別の意地なのか。

彼は仲間が次々拷問され死んでいく姿を見てかなり動揺している。
「覚悟は出来ている。自分の番が来たら早く終わらせてほしい」とモリーナにも言う。

彼の本心はどこにあるんだろう。

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★『蜘蛛女のキス』を見る。オギー演出。

★今回のオギーは「ストレートプレイ版とミュージカル版の良さを両方取り入れたい」とパンフレットを見ると書いてある。
最近のオギーは意図した事を意図したように観客に見せる事に成功していると思う。
私の記憶の中のハロルド版(ただしうろ覚えすぎてはなはだ正確ではないが)を思い起こすと、とにかくヴァレンティンのキャラクター設定が異なっているように感じる。
モリーナとヴァレンティンの二人の関係性がどう動いて行くのかに非常にスポットが当たっているようも思う。

が、大問題な事に、やっぱりそれは二人の表情がオペラグラス無しで見える劇場サイズでないと非常に分かりづらい。
今回1階最後列で見たため、全体を見たいけど今彼らが何を考えているか知りたくてオペラグラスを使って、でもそうすると他の誰かを見逃して・・・と非常に中途半端になってかなり無念だった。劇場サイズと二人の繊細なやり取りが合っていない気がする。

オギーが今回意図した物語は、正直この中ホールでも大きいと感じる。大劇場向きの作品では無いと思う。梅芸なんかでやっていいのだろうか。ドラマシティキャパでギリギリじゃないのかこれ。

本当は無駄に贅沢に300人位の劇場で息を詰めて見たい。


★うろ覚えハロルド版。もっとオーロラ部分がとにかく派手だった。衣装もセットも引き連れている人数も。
とくに照明がめちゃくちゃ派手だったイメージがある。派手だけど常に不穏で、華やかだけれども濃厚に死のオーラで劇場中を包み込む麻実れいの姿。
ラストの映画館も、舞台正面に椅子席が並んでセットごと別世界になってくれて、頭が切り替わりやすかった。

そして過酷な現実部分はもっとものすごく過酷な印象が残っている。過酷と言うか、すごく直接的でリアルな表現にて観客に示されていたような気がする。

蜘蛛女のキスは、肉体的だったり生理的だったりな部分がすごくピックアップされている作品という印象があって、何て言うか演劇では普段さらっと流していくような「人はご飯を食べるしトイレも行くし眠るしそうしないと生きていけないし殴られたら痛いし好きならキスするし寝るし」みたいな事がすごく当たり前に存在していて「生命体としての人間が生きている」感じがすごくある。

だから、ハロルド版は、ものすごく過酷な現実と、モリーナの豊かな妄想世界のコントラストがものすごくて、だからどちらの場面もより際立って印象に残っている。
彼らの絶望と、だからこその妄想世界の華麗さ。
↑ただし麻実れいがすご過ぎて、私は「ヴァレンティンの過酷さ」しか覚えてなかったんだけど(笑)。

この二つは見え方としてはきっぱりと分かれていて、だからこそどちらもが引き立つ。
観客はどこまでも苦しい過酷な現実部分と、オーロラの派手で華やかで不穏な世界の中を激しく行ったりきたりする。

★今回のオギー版。
最初から最後まで、オーロラ部分も現実と同じセットの中で展開される。
その分正直地味・・・。

きっぱり分かれていたハロルド版に対して、現実の中を縦横無尽に妄想世界が踏み込んで同じ地平に存在している。

麻実さんは世界をすべて覆いつくす象徴のように登場するが、コムちゃんは精霊のように気づくと隣に座っていてふっとキスされて死んでしまう感じ。
ヴァレンティンが毒入りご飯を食べさせられて苦しんでいる時にふっと枕元に立って彼に触れるくらい近づいているのを発見してぞっとしたり、何となくモリーナの隣に座っている姿の浮遊感に驚いたり。

蜘蛛女に限らず、ヴァレンティンとモリーナが誰かを思っている時に現れる実在の登場人物たちも、彼らの真隣に出現する。モリーナのママも、マルタも、隣にいるのに決して彼らに触れることなくすれ違って行くのがとても哀しい。

本当は同じように近くに居たかもしれないけど、ハロルド版は回想シーンなども含めて、それぞれを独立した形で見せていたような気がするので、今回のすべてが同じ地平で演じられて行くのがとても印象的だった。

それが何を意味しているのかはうまくつかめないんだけど。
印象としては、彼らの希望と絶望がずっと地続きな感じというか、閉塞感の中で見ている一時の夢の儚さや脆さをより強く感じた。


★妄想界が現実界を侵食するように駆け抜ける今回。
逆に、過酷な現実部分はかなりマイルドというか、基本的に「全部は見せない」方式が取られているようで、結果として印象が和らいでいると思う。

後ろで拷問されてる人がすっごいダンサー動きで振付けっぽいとかも含めて。
スミレコードなのかもしれないけど(笑)、蜘蛛女とモリーナのキスがないとか。
ヴァレンティンとモリーナが最後の夜どうすごしたのかはっきり示されないとか。←ハロルド版はかなり直接的だったような気がするんだけど・・・。
が、今回私別の何か(何だっけ?コムちゃんの動き?)に意識が行ってたらいきなり場面自体終わっちゃってあれ??と混乱中だったので本当は何かあったのかもしれないが。

★妄想が現実の中を闊歩し現実の過酷さの表現が和らいだ結果、夢と現実があやふやにどちらにも侵食していく感覚というか、はっきりした物語ではなく混沌とした感じや混乱した感覚をより強く感じた気がする。
見ていて落ち着かない気持ちは今回の方が強かったのかも。

「大劇場で見せる」事と「南米!!」を考えると今回のバージョンは繊細すぎるのかもしれないけど。
何ていうかやっぱり小じんまり感がある・・・。
ショーとして大劇場でババーンと大スターのチタ・リヴェラを使って演じられてきた演目の押しのパワーの強さを、押しの強い役者で見た記憶が邪魔しているのかもしれないけど。自分の中で。

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★『蜘蛛女のキス』を見る。2幕。

★色々戸惑っていたけれども2幕になって「オギー版蜘蛛女のキス」に慣れた事もあってぐっと引き込まれる。
ラスト、モリーナが「明日出所する事になった」からは結末を知っているだけにモリーナの気持ちが切なすぎて号泣。

しかし今回のヴァレンティンはかなり複雑な設定がされているようで、見ていて彼の気持ちがどうにも分かり辛くオペラグラスで表情を確認。・・・なんか、悪い顔してるんですが。彼の本当の気持ちはどこにあるんだろう。

三重唱でも「一回抱けばそれだけでオレ様の言う事を全部聞くだろう」的な事を歌い上げてるし。←ブログめぐりして「一緒に寝るそれだけで~」と言っていることが判明。脳内再生は直接的すぎた(笑)。いやオレ様とか歌ってない事は分かってるけどさ。
その最後の夜、結局どうなったのかはっきり示されないし。

ヴァレンティンは、モリーナが出て行く時に「二度と、自分を辱めることはするな。人にもさせてはいけない」みたいな事を言う。
あ~またすっかり忘れていたけど、前見た時にこれはすごく大切な言葉だ。いい台詞だ。忘れないようにしよう!と思った場面だった!忘れちゃってるじゃん私!!!

多分この言葉を聞いたときにモリーナの気持ちが動いて、最後の一押しになって、「伝言を教えて」と言う。
・・・この時のヴァレンティンの気持ちがやっぱり分からない。この言葉は本気で言っていると思う。でもこの後伝言を伝えて「よし!」みたいになってる部分もあって、どこまで計算でどこまで本気なのか今回のヴァレンティンは複雑すぎて分からない。

しかし、この最後の「蜘蛛女のキス」テーマ曲場面は特に素晴らしかった。
モリーナの分かっているけれども騙されていてもそれでも好きだという感情。ヴァレンティンの、多分モリーナの気持ちを利用しようと思っている部分と本当はどこかモリーナに自分の感情を預けている感覚。
そして圧倒的に美しい蜘蛛女。コムちゃんの求心力はさすが宝塚トップスターだった人だ。と思った。自力で輝き観客の目を自分に向かせるパワーがすごいと思う。
気持ちが非常に盛り上がった。


★無事にママの元に返ってくるモリーナ。
昔の仕事仲間と無事にショーウィンドーの仕事に復帰する彼の姿が描かれる。
刑務所とは全く異なる人としての当たり前の暮らしが当たり前に出来る世界。

それでもモリーナは覚悟を決めてヴァレンティンの伝言を伝えに公衆電話へ向かう。

・・・ここで、ずっとものすごく基本的な設定が理解できていなかった事に気づく。
何でここで捕まるのか意味が分からなかったのだが(笑)、「どこに電話したのか、相手は誰なのか、何を言ったのか言え~っ」と脅されて拷問されるのか・・・何故気づいてなかったのか前回・・・。

うーんでもその公衆電話を調べたらいいのではとか思うのだがどうなのか。

しかもヴァレンティンの伝言って「自分は生きてる」事しか言ってないと思うのだが、何かその中に暗号が??
そしてマルタは結局組織に関わっているの??
さらにどうでもいい事だけど、何でいかにもコードネームっぽい名前をつけてるんだろうこの組織。「イーグルからの伝言が!」とか。普通の名前にした方が良さそうなのに。


この場面のヴァレンティンとのやり取りもすごく好き。
「おれは何をしたんだ・・・」とぽつんと投げられる言葉。すごく素直に聞こえた。
「きれいさっぱり忘れちゃったわ」と無理に朗らかに言うモリーナ。

そして銃声。

…………………………………………………………………
↑ブログめぐりしていて見つけた感想にて、電話の場面で一度銃声が響くから、ここでモリーナは死んでいて、この場面は幻想なのではというご意見を見つけた。
言われてみたら、私この場面見ていて「今回は映画版と一緒なんだ」と思って、でも次の場面が続いたからあれ?と一瞬戸惑ったような気がしてきた・・・。何で見たものをこんなに覚えていられないんだろう涙。
…………………………………………………………………

・・・ミュージカル版がすごく救われるのは、この後モリーナの幻想フィナーレがある事。
ママが映画館の制服を着て観客たちを案内している。

その間にすっと起き上がり、気持ち良さそうに踊るモリーナ。ガブリエルもヴァレンティンも穏やかに微笑む。
そしてモリーナと蜘蛛女が踊る。

オペラブラスで二人を見ていたら、知らない内にヴァレンティンとマルタが下手で抱き合ってた。あああ見逃した~(泣)。映画の観客たちもそれぞれ立ち上がり踊りだす。

そして最後に蜘蛛女とモリーナの唇が近づいて・・・幕。


え??終わり???えー「蜘蛛女のキス」なのにキスしないまま終了しちゃうの??

これは何??今回の全体を貫く演出トーンとしては合ってるから普通に演出としてそうなったの??
じゃなくて、初外部であるコムちゃんファンのためのスミレコード??


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★終わってやっぱり放心状態。やっぱり好きな作品だ。という思いと、やっぱり私ハロルド版の方が好きだなという思いと、でもこれ前の席で見たらオギー版の方が好きになったかもしれないという思いと、とにかく今回のヴァレンティンが分からない!という思いと、コムちゃんは何であんなに可愛いんだろう。という思いと(笑)、色々でぐるぐるしていた。

色々と打ちのめされたり感情が揺り動かされていたようで、見た日の夜、眠れなくなったり朝5時に目覚めちゃったり、変に興奮していた・・・。

ふぅ。やはり自分にとって大きな演目なんだなと思った。

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2007.11.12

★『蜘蛛女のキス』を見る。1幕。

私の中の伝説の作品「蜘蛛女のキス」をついに見て来た。・・・もう先週だけど。見たのは11月10日のマチネ。
やっと感想書いたのでネタバレでめちゃくちゃ語りに入りたいと思います・・・(笑)。

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★ハロルド・プリンス版を見て大衝撃を受けた「蜘蛛女のキス」。麻実れいの極楽鳥や白エンビでタバコをくゆらせていた姿、蜘蛛っぽい?姿などが強烈な印象として残っており、自分の中で伝説化されてた。

今回、新たに荻田浩一の手で新たな演出版として上演される事がわかり、ずっと楽しみにしていた。
石井一孝と浦井健治は役逆じゃないの?とかも思いつつも年齢的に石井さんがモリーナで浦井君が政治犯だろうな~とか、朝澄けいちゃんがマルタで初風さんがママかな・・・とか思いを馳せる。

予想外にチケット難で平日チケットを何とか確保。
あまりにも自分の中で伝説過ぎてみる前にものすごく緊張(笑)。

客席を見回すと、マダム風な奥様が沢山いらっしゃる事に驚く。「蜘蛛女のキス」を見に来る客層とはとても思えない。・・・コムちゃんファンなんだろうな~。
でもこんな善良そうなおばさまたちに「蜘蛛女のキス」は刺激が強いのではないかしら。大丈夫かしら。と余計な心配をする(笑)。

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★暗いセットの中囚人が現れてすっと始まる。

コムちゃんが強烈に可愛い。とにかく美脚。小顔。コケティッシュで美しい。
いつもと全然違う役をやっている人が多くて皆新鮮。浦井君若干がんばっている感は見えるもののヴァレンティンの威圧的な感じ、粗野な感じが出ている。石井さん石井さんには見えない。南米がすごく合っている顔も良い(笑)。藤本さん言われなければ藤本さんと気づかなかったと思う。怖い。ガタイがいい事を初めて意識した。

が、あまりにも自分の中で伝説すぎて、また、伝説なくせに麻実れいさんのものすごい存在感のみが強烈な印象として残っていたため、
・何だか地味な気がする。
・こんなに過酷な話だった事を何故きれいさっぱり忘れていたのか自分。
とまず思った。
あまりに過酷な現実を目にして気持ちが沈む。

いや設定も分かっていたし彼らの状況も覚えていたが、刑務所の囚人たちがこんなにも人としての尊厳を蹂躙されていた事をすっかり忘れていた。見ていて苦しい。正直見たくない。
出てくる人皆虐待されたり拷問されたり。
それらの記憶すべてが吹っ飛ぶ程麻実さんがすごかったんだ・・・と改めて思う。

そしてもっとオーロラ部分の照明やセットが派手だった印象があったので、人は華やかだが舞台自体がずっと暗い事にちょっと戸惑っていた。

★人としての最低限の、当たり前の尊厳が全く尊重されない世界。死が当たり前に存在する世界をずっと見せられていてかなり打ちのめされていた所にモリーナの妄想の「モルヒネ・タンゴ」でぽんとママが登場する。

あまりにも普通にあまりにも穏やかにモリーナに語りかけるママに涙が止まらなくなる。
ゲイであるモリーナの存在を全肯定し愛しているママ。モリーナは過酷な現実の中で生きているけれども、でもこんなに彼を包み込んでくれるママがいて本当によかったと心から思う。

★ちょっと気になった事。
ヴァレンティンの服の着せ替え。本当に脱ぎ着してるの??
履かせるのがすごいやりにくそうで、結構見えそうな位バタバタ動いてたので。今回素晴らしくモリーナだった石井さんだがここだけ妙に豪快で男らしかった(笑)ので気になってる・・・。


★正直1幕を見ている間は、・・・面白いけどすごく「普通」かも・・・とか思ってた。オギーだけどあまりオギーな感じがしない。普通に面白いミュージカルを見ているけど、私蜘蛛女にはもっと強烈にはまってた気がするんだけど・・・やっぱり自分で伝説化しすぎたかな・・・と。

極楽鳥がダルマじゃない!!とか(笑)のどうでもいい不満などもあったし。
思っていた以上に印象が異なる演出だった事に戸惑ったのかもしれない。

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