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2007.11.13

★『蜘蛛女のキス』を見る。オギー演出。

★今回のオギーは「ストレートプレイ版とミュージカル版の良さを両方取り入れたい」とパンフレットを見ると書いてある。
最近のオギーは意図した事を意図したように観客に見せる事に成功していると思う。
私の記憶の中のハロルド版(ただしうろ覚えすぎてはなはだ正確ではないが)を思い起こすと、とにかくヴァレンティンのキャラクター設定が異なっているように感じる。
モリーナとヴァレンティンの二人の関係性がどう動いて行くのかに非常にスポットが当たっているようも思う。

が、大問題な事に、やっぱりそれは二人の表情がオペラグラス無しで見える劇場サイズでないと非常に分かりづらい。
今回1階最後列で見たため、全体を見たいけど今彼らが何を考えているか知りたくてオペラグラスを使って、でもそうすると他の誰かを見逃して・・・と非常に中途半端になってかなり無念だった。劇場サイズと二人の繊細なやり取りが合っていない気がする。

オギーが今回意図した物語は、正直この中ホールでも大きいと感じる。大劇場向きの作品では無いと思う。梅芸なんかでやっていいのだろうか。ドラマシティキャパでギリギリじゃないのかこれ。

本当は無駄に贅沢に300人位の劇場で息を詰めて見たい。


★うろ覚えハロルド版。もっとオーロラ部分がとにかく派手だった。衣装もセットも引き連れている人数も。
とくに照明がめちゃくちゃ派手だったイメージがある。派手だけど常に不穏で、華やかだけれども濃厚に死のオーラで劇場中を包み込む麻実れいの姿。
ラストの映画館も、舞台正面に椅子席が並んでセットごと別世界になってくれて、頭が切り替わりやすかった。

そして過酷な現実部分はもっとものすごく過酷な印象が残っている。過酷と言うか、すごく直接的でリアルな表現にて観客に示されていたような気がする。

蜘蛛女のキスは、肉体的だったり生理的だったりな部分がすごくピックアップされている作品という印象があって、何て言うか演劇では普段さらっと流していくような「人はご飯を食べるしトイレも行くし眠るしそうしないと生きていけないし殴られたら痛いし好きならキスするし寝るし」みたいな事がすごく当たり前に存在していて「生命体としての人間が生きている」感じがすごくある。

だから、ハロルド版は、ものすごく過酷な現実と、モリーナの豊かな妄想世界のコントラストがものすごくて、だからどちらの場面もより際立って印象に残っている。
彼らの絶望と、だからこその妄想世界の華麗さ。
↑ただし麻実れいがすご過ぎて、私は「ヴァレンティンの過酷さ」しか覚えてなかったんだけど(笑)。

この二つは見え方としてはきっぱりと分かれていて、だからこそどちらもが引き立つ。
観客はどこまでも苦しい過酷な現実部分と、オーロラの派手で華やかで不穏な世界の中を激しく行ったりきたりする。

★今回のオギー版。
最初から最後まで、オーロラ部分も現実と同じセットの中で展開される。
その分正直地味・・・。

きっぱり分かれていたハロルド版に対して、現実の中を縦横無尽に妄想世界が踏み込んで同じ地平に存在している。

麻実さんは世界をすべて覆いつくす象徴のように登場するが、コムちゃんは精霊のように気づくと隣に座っていてふっとキスされて死んでしまう感じ。
ヴァレンティンが毒入りご飯を食べさせられて苦しんでいる時にふっと枕元に立って彼に触れるくらい近づいているのを発見してぞっとしたり、何となくモリーナの隣に座っている姿の浮遊感に驚いたり。

蜘蛛女に限らず、ヴァレンティンとモリーナが誰かを思っている時に現れる実在の登場人物たちも、彼らの真隣に出現する。モリーナのママも、マルタも、隣にいるのに決して彼らに触れることなくすれ違って行くのがとても哀しい。

本当は同じように近くに居たかもしれないけど、ハロルド版は回想シーンなども含めて、それぞれを独立した形で見せていたような気がするので、今回のすべてが同じ地平で演じられて行くのがとても印象的だった。

それが何を意味しているのかはうまくつかめないんだけど。
印象としては、彼らの希望と絶望がずっと地続きな感じというか、閉塞感の中で見ている一時の夢の儚さや脆さをより強く感じた。


★妄想界が現実界を侵食するように駆け抜ける今回。
逆に、過酷な現実部分はかなりマイルドというか、基本的に「全部は見せない」方式が取られているようで、結果として印象が和らいでいると思う。

後ろで拷問されてる人がすっごいダンサー動きで振付けっぽいとかも含めて。
スミレコードなのかもしれないけど(笑)、蜘蛛女とモリーナのキスがないとか。
ヴァレンティンとモリーナが最後の夜どうすごしたのかはっきり示されないとか。←ハロルド版はかなり直接的だったような気がするんだけど・・・。
が、今回私別の何か(何だっけ?コムちゃんの動き?)に意識が行ってたらいきなり場面自体終わっちゃってあれ??と混乱中だったので本当は何かあったのかもしれないが。

★妄想が現実の中を闊歩し現実の過酷さの表現が和らいだ結果、夢と現実があやふやにどちらにも侵食していく感覚というか、はっきりした物語ではなく混沌とした感じや混乱した感覚をより強く感じた気がする。
見ていて落ち着かない気持ちは今回の方が強かったのかも。

「大劇場で見せる」事と「南米!!」を考えると今回のバージョンは繊細すぎるのかもしれないけど。
何ていうかやっぱり小じんまり感がある・・・。
ショーとして大劇場でババーンと大スターのチタ・リヴェラを使って演じられてきた演目の押しのパワーの強さを、押しの強い役者で見た記憶が邪魔しているのかもしれないけど。自分の中で。

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